HSPこじらせモグズライフ

20歳頃アーロン博士の本と出会い、HSPを自覚して心が軽くなったものの、非HSPになりたがりでこじらせてしまっているアラフォーの雑記ブログ。

尾骨ヒビ【12日目】電車に乗ったら

目次

  1. まだ痛い
  2. 自分勝手なストレス
  3. 電車に乗ったら
  4. 何かを犠牲にしたら何かができる
  5. 電車で席を譲る意味とは?

 

【12日目】

まだ痛い

昨日、痛み止めを飲んだせいか、電車で座っていたせいか、

横寝がしんどくて気がついたら仰向け寝になってるせいか、

台風が横を通っているせいか、

一日中、満遍なく尾てい骨が痛く、仕事を休もうかと思うほどでした。

最近は仕事以外はわりと鎮痛効果のある湿布もしてましたしね。。。

場所が場所だけに鎮痛効果がどれだけ届いてるのか疑問ではあります。

 

自分勝手なストレス

見た目が普通なので、早く普通にならないとという

人目を気にしたプレッシャーとストレスのせいかもしれません。

完璧主義傾向もあるので、人にできないことを伝えるのが下手だったり、

空気が読めない、自分のことも読めないので、

痛いのに動く時は動いていたりして、

それをどう見られるか気にしていたり、、、

とてもでないけど、心身ともに静養とまではいってないです。

全く動けないほうが休めそうですね。

 

思ってたよりも痛くて、思ってたよりも回復が感じられません。

7日目につまづいて踏ん張った時に悪化してしまったのでしょうか。。。

 

怪我の前にしていたことのほとんどを手放さなくてはならなくなったことにも

怒っています!

自分が雨の中、ゴミ捨てに行く途中、階段から転げ落ちたので、しょうがないんですけど。。。

0からやり直せると思ったらチャンスなのかもしれません。

だったら、もっと落ちたかったし、何もかも休みたかったですね。

そうしたら、0だともっと思えて、あきらめもついて、

スッキリできたのに。

これは気持ちの問題で、

実際は、大事に至らなかったから、いろんなことを考えられて、

苦しんでるんです。

どう考えても、この程度で助かって、現実はよかったんです。

 

電車に乗ったら

電車で立っていた時、腰がひどく曲がっていて

震えていてしんどそうなご年配の男性がいらっしゃいました。

年配の女性が"譲ってあげて"と声掛けしていましたが、

誰も席を譲りませんでした。

立っている人たちはチラチラその様子を気にしていました。

その男性の前に座っていたのは、20歳前後と見られる強健そうな男性と

3〜40代と見られる強健そうな男性でした。

二駅くらい進んだところでその2人は席を譲りました。

わたしはというと、立っているとき、

"だれも押さないで〜!"と念じながら、

隅っこをキープしていました。

キャリーバッグの女性が隣にいましたので、

普段でしたら、隅っこを譲ったほうがいいかしらと

思いながら、"見た目、普通で肩身が狭いかも"と

思いました。

 

わたしは虚弱体質なので、若いですが、

普段よく電車で座っていました。

ご年配の方と一緒の時は席を譲っていましたが、

ご年配の方でも強健な方もいらっしゃいますので、

座らせてもらっていることもあります。

今回の席を譲るか譲らないかの件は考えさせられました。

わたしはどうしてたのかな?と。

年配の女性の声掛けで、譲っていたと思いますが、

声掛けがなかったら、優先席ではありませんでしたし、

もしかしたら、譲らないこともあったかもしれません。

 

何かを犠牲にしたら何かができる

今は尾てい骨を痛めていて座るほうが辛いので、

あんなに座っているほうが体力的に楽だったのに、

ずっと立っています。

ずっと立っていると腰が痛くなるので、

尾てい骨の痛みがなければ、座っているほうがいいのでしょう。

たくさんのことを強健な人と同じようにやっていくには、

座って体力を温存しなければいけませんが、

今、不自由な身でやれることが限られている、

制限しないといけない身になって、

座らなくてよくなっているというのは、

いいのだか悪いのだかわからないのですが、

何かを犠牲にすれば、できないことはないのだ

ということを実感しました。

強健な人でも座りたい人もいれば、座らなくてもいい人、

いつでもゆずれる人がいます。

結局はどんな人でも何を優先するか次第。

 

電車で席を譲る意味とは?

これからますます老齢社会になって、

電車に乗る人は座る人が増えるでしょう。

ある時は譲られている人も、

もっと必要な人に譲るほうがいい場合もあるに違いありません。

目に見えてその差がわかる場合もあったり、

見かけはわからない場合もあるでしょう。

自分とは関係ないかもしれません。

でも、いつかその身になるかもしれません。

その身になって、親切に譲ってもらえるかもしれません。

でも、譲ってもらえないかもしれません。

譲ることを知っていなければ、自分のことしか考えていなければ、

人に譲ることはできないからです。

そう考えると、自分も自分が大変だったとしても、

できる余地があるなら、譲って、

譲ることが普通の世界を作っていくことも大切だなと思いました。

そして、今回の怪我で、その余地は強健な若者ではなくても

あると実感させられたのでした。

 

とはいえ、電車内は社会の縮図のようなもので、

他人のことまで考える余裕はあまりなく、

椅子取りゲーム、早い者勝ちが現実のように思えます。

すごい勢いで席に座る年配の方をよく見ますが、

譲ってもらえない現実、譲らない現実、

誰もが余裕のない現実、競争社会の現実、それが現実なのですね。

逆に、すぐそこまでだからと、譲られた席を遠慮するご年配の方も

いらっしゃって、身の丈にあったライフスタイルと

心の余裕を感じさせられることもあります。

それが当たり前、それが現実の人生もあると思うと

席を勝ち取りに行く努力ではなく、

余裕の持てるライフスタイルをする工夫のできる

人になれたら、

本当は幸せなんだろうと思います。

みんなと同じことをして安心したい、

みんなと同じ以上の生活をして安心したいと

思ってしまいますが、

身の丈がわかることが1番幸せなのかもしれませんね。